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もとき先生の生い立ちと学習支援

3. コラム

学習教室『とまり木』代表のもときです!
いつも応援いただきありがとうございます!

今回は、みなさまにより深く、もとき先生の教育に対する考え方を知っていただくためにも、もとき先生の生い立ちについて綴ってみたいと思います。フランスで育った幼少期からはじまり学生時代に至るまで、勉強や学習というものとどのように向き合ってきたのか、不登校や発達障害の子どもとこれまでどのような関わりがあったのか、お時間のあるときにぜひ最後までお読みください。


フランスで過ごした幼少期

もとき先生が子ども時代を過ごしたのは日本とは違う国、フランスでした。しかも、日本人学校やインターナショナルスクールではなく、現地の子どもたちと同じ幼稚園や小学校に通っていたのです。外国語といっても、英語ではなくフランス語を日常的に使用していました。

ありがたいことに、教育環境的には恵まれていた方で、性格としても大人しく、勉強には比較的前向きに取り組む子ども時代を過ごしました。平日は学校でフランス語を使って勉強し、家に帰ったあとや休日は家で日本語を使った勉強をするような毎日でした。

ただし、フランスには学習塾というような文化がなく、学校外の勉強は通信教育や公文式を家庭で使用する形で育ちました。また大学までは受験というものが稀な国だったので、日本の子どもたちのように受験を意識した過ごし方はしてきませんでした。


学校教育と家庭学習ー日本で生きる力を養った期間

フランスの保育園や幼稚園で印象に残っているのは、絵の具や身体で表現するアートの時間。小学校でも1年生から美術の授業があり、単なる勉学以外のことを学んだり実践したりする時間も大事にされていたのだなと、あとから振り返って思います。学校教育でもアートが大事にされる、まさに芸術の国ですね。

一方で、両親が親身に向き合ってくれていた家庭での勉強の目的は、完全に「日本に本帰国したとき、もときが困らないため」の勉強でした。今考えると【受験のためではなく、「生きやすく」するための勉強】という学習教室『とまり木』のモットーはそのような経験からはじまったものなのかもしれませんね。

休日などは進研ゼミや公文式、その他の通信教育の教材を使いながら、日本の子どもたちが学んでいることに追いつけるようにひたすら机に向かわされていたのを鮮明に覚えています。そのような勉強が今の先生を作っていると思うと、子どもの頃の勉強って馬鹿にできないですね。


そんなこんなで、12歳になったもとき先生は日本に本帰国し、無事に標準的な公立の中学校に入ることができたのです。

学生時代ー不登校や発達障害の友人たち

人生で初めて不登校や発達障害というものにしっかりと触れることになったのは、中学生・高校生になってからでした。まあそもそもフランスでは、「不登校」という言葉自体聞くことがない気がしますが。きっと日本の大きな課題なのだろうとひしひしと感じます。

人並みに勉強したり部活動をがんばったりしながら過ごしていた学生時代のもとき先生。その周りには不登校になってしまう友人たちもいました。どうしてあげたらいいのかも分からず、ただ会いに行ってみる中学生の頃、発達障害をもつ子と校外学習で同じ班になったときに、寄り添った対応をしていたら指導員の先生から感謝のお手紙をいただいたりもしました。子どもながらに、そのように様々な壁にぶつかっている子どもたちへの向き合い方について悩んでいたように思います。

不登校だった友人たちの中には、今では自分のチカラで大きな夢を叶えている人もいれば、今になっても実家で引きこもり生活をしている人もいます。その子によって異なる運や実力、タイミングなども大事ではあるものの、やはり大人など周りの環境による影響によって大きく将来像は変わりますよね。困っている子どもたちが「その子らしく」大人になっていけるような支援ができる、そんなかっこいい大人になりたいものです。

学生時代ー学習施設に対する違和感

中学生、高校生になったもとき先生が使用していた教育教材や学習塾は、継続的に進研ゼミや大手学習塾などでした。学習塾に通っていたといっても、中学2年の頃に初めて入った塾のいわゆる「特進クラス」で、受験のために全てを投げ出しながら勉強に打ち込むような毎日にストレスが溜まってしまって、抑うつ状態になってしまって3年生の夏にやめるなんていうような状態でした…。

受験や定期試験のためにひたすら問題を解いたり暗記したりする塾のやり方が当時から合わなかったのです。どちらかといえば、根拠を理解しながら勉強を進めていくことが好きだったのです。将来の夢などは持てていなかったので、目標を立てられなかったというのもありますが、新しいことを「知る」ことに意味を見出していたように感じます。そういう風に、結局自分で勉強したりして、その結果としてずっと塾に通っている人たちよりも勉強の理解度が高く、結果的に試験や受験でも良い成績を残していったことが、より自分の勉強の仕方に自信をもつきっかけになっていきました。

高校生の頃になったら、はっきりと「自分のための勉強」という意識をもって能動的に学習するようになっていたように思います。「勉強を楽しむ」という感覚も自然と身についていきました。友人たちに勉強を教えていたときも、みんな楽しそうにしているのがすごく嬉しかった覚えもあります。その分、イヤイヤ言いながら当たり前にみんなが通う受験型の学習塾や、試験で点数を取る為だけの勉強の仕方をする同級生たちに対してずっと疑問をもっていました。その気持ちは今でも変わらない気がしますね。

教育の実情を知った大学時代

大学に入って色々と幅広く学んだのち、専攻科目として選んだのが教育社会学という科目でした。教育というものを人と人、人とモノ、組織や制度などとの関係の中から眺めるという社会学的な視点で研究する分野。その分野で研究を進めていくうちに、人が成長する過程のなかでいかに教育が重要であるのかを知っていきました。また日本社会において学校教育が直面している課題、家庭が抱えている課題など様々なものを見てきました。本当に重要な分野だと感じていたし、興味はあるものの、正直自分がその一端を抱えることに関しては否定的でした。まさかそんな自分がいま教育の分野に戻ってきているとは…!

特に、教員たちが働いている労働環境が劣悪だという話は有名ですが、そんな劣悪な環境でおこなっている教育が子どもたちに及ぼす影響を考えたことはありますか?少子化で子どもの数が減っているなか、教員になりたい人も減ってその数が不足していたり、社会から求められる能力が変化したりして、教育現場がひっ迫する世の中。今のこの状況がどれだけ子どもたちの成長を左右しているのかと想像するとゾッとしませんか?また核家族化や家族の多様化が猛スピードで進み、様々なこころの病なども注目されはじめた現在。貧困家庭や精神疾患で苦しむ子どもたちは取り残されていくのみなのか…?

教育課題を考え始めるとキリがなく、先を考えると不安が募るばかりですが… それでももときは一度「社会に出てうつ病になってフリーランスになって」という遠回りをしてから、今度は家庭教師・塾代表として自分の生徒をもつというように、教育の世界に戻ってくることになったのです。

家庭教師ー不登校や発達障害の子どもとの出会い

家庭教師として活動をはじめてから、特にお勉強が苦手な子どもを多く見てきました。その中には不登校の子や、発達障害、精神障害をもつ子もいます。はじめは接し方に悩んだり、どのような学習支援ができるか色々と試してみたり、試行錯誤の日々でした。結局どのご家庭でもご満足いただけて、どこも今でも続いているどころか、「大人になるまで見ていてほしい」「もとき先生にずっと見てほしい」と嬉しいお声をいただいている状況です。

その子たちと関わるなかで一番大事にしていることは「学びの時間を楽しいと感じてもらうこと」です。簡単にいうけど、すごく難しいこと。ひとりひとりの機嫌や特性、趣味をちゃんと知ってあげた上で、その子の必要としている勉強を用意してあげなければ、楽しめる環境は整えられない。しかも、楽しいだけじゃない。親御さんがちゃんと「ためになっている」という実感を得られるような実績(テストの点数など)を伴うことも大事。ま、そこはその子にあった学習をすれば自然とついてくるものだと思います。だって、一番の目的は「子どもたちが将来的に困らないこと」ですから。

もとき先生だからこそできる学習支援

このようにずっと教育と関わってきたもとき先生。そのもとき先生だからこその教育の場として、ここ、埼玉県日高市のカフェで開いたのが学習教室『とまり木』です。『とまり木』だからこそ提供できる教育とは?それは【寄り添う教育】。ただ機械的に点数のみで評価するような冷たいものでなく、ひとりひとりに合った進度で、ひとりひとりにあった学び方で、学力はもちろんのこと、人として必要な能力も身につけて成長していってもらえるような暖かい(温かい)教育環境。学校教育でこぼれ落ちてしまう子どもも含めて、だれもはじかれない【優しい教育】。だれもかれもというより、手の届く範囲に来てくれた子どもたちを全力で大切に育てる【小さな教育】。

「ひとりひとりに寄り添う、小さな優しい教育」

きっとそれが、もとき先生の運営する学習教室『とまり木』でできる最大のお手伝いなんじゃないかと、今この文章を打ちながら考えています。学習塾でもありながら居場所でもある、勉強が得意で伸ばしたい子も、勉強が苦手で困っている子も、どんな子ものびのび楽しみながら成長できる素敵な場所。まだまだ始まったばかりで、これからも変化していくだろうけど、きっと、この教室を経験した子どもたちが将来ここにいたことを誇らしく感じてくれるような、そんな特別な学習の場としてあり続けたいと思っております。


最後までお読みいただいた方… いるかな。万が一いましたら、誠に誠にありがとうございました。この度は、もとき先生の生い立ちを学習支援という面から見返して記事にしてみました。埼玉県の日高市に生まれたまだ小さな小さな教室。その代表であるもとき先生。どうか、ぼくの小さな経験たちが、未来を生きる子どもたちのチカラになっていきますように。


学習教室『とまり木』 代表・講師
もとき(大滝 幹生)


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